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2003/11/16: つらつらと考える: 宗教

宗教の定義もよくわからない。

日本語の「宗教」は明治時代に定義がゆがめられ、暗黙のうちに一神教の類を さしている(具体的にはキリスト教)。「英語の翻訳だから」ということではな く、裏には政治的意図がある。

個人的には、広く「特定の公理系から論理的に演繹される一つの理論体系」と でも定義するしかないとおもう。

だが、この定義だけでは、宗教と 科学 の違いはない。ただ、これがおかしいと思うのは二十世紀に科学訓練を受けた ものの感性である。

特定の公理を認め、そこから演繹できる範囲で無矛盾(にみえる)体系を論破す ることは難しい。どちらがより良いともいえないし、また、良いという表現も 妥当ではない。 [1]

ただ、 科学 が他の理論体系と異なる点は、”ある程度の”定量的な予測性が可能であるこ とだ。 [2]

たとえば「明日は雨だろう」と予言できる理論体系は複数考えられる。 だが、科学では”あるていど”確率計算も出来る点が異なる。 ただし、それをもって"良い"とはいえない。 [3]

Notes

[1]

二つの理論体系があった時、どちらが優れているかを判定するには比較の基準 となる別の体系が必要である。だが、その2つの理論体系がともに妥当と認め る第三の体系など、ふつう存在しない。そのため、「より良い」という表現は 多くの場合、そもそも成立しない。

[2]

理論体系における論理的首尾一貫性という観点だけにしぼると、paradigm が 直接関係するとは必ずしも言えないので、paradigm の件は一旦わすれよう。

[3]

確率計算に意義を認めない理論体系派の人にとって、 この相違は何の意味も持たない。

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