歴史とは道の途中、ある街角から振り返った風景だ。 違う街角まで進めば違う風景になる。
ただ、この論法を進めると、まったくの核がないかのようだが、 ナニカはあるのだという根拠のない自信がないと話が進まない。
もっと気になるのは、この手の論法の奥、いや、むしろ上から見おろす立場と いうべきだろうか、そこから見て記述にあてはめようとするフレームが paradigm の習得を訓練された科学者のものになってしまう自分と、科学以外 に paradigm theory はあてはまらないことを繰り返し言い聞かせる自分とが 常に葛藤する。
歴史が物語であるならば、そういった見方を一度忘れなければならないのだが、 できるはずがない。物理学帝国主義の訓練は、そんな簡単に拭いさることなど 出来ないものだ。
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