東京で唯一人間がたえられる季節、それが冬だ。湿地帯に無理矢理作った都市 だから、本質的に不愉快な気候であるはずだ。だが、冬だけは、かろうじて耐 えられる。
やわらかく穏やかな日差し、日中の気温は一桁台だがプラスだ。 つめたいが赤城おろしほどではない北風。
だが、その冬ですら、この空気の汚さ。あの頃は、そうでもなかったのか、 それとも慣れとは恐ろしいということなのか。
とはいえ、別段、当時の感覚を思い出したいわけでもない。
よく歩いた道のひとつ、それが秋葉原から川に沿って登る湯島聖堂の前の道だ。 大学構内は別として、これが東京で唯一思い入れのある道かもしれない。この 感覚だけは思い出すことが許されうる。
聖橋のアーチの向うに見える赤い快速電車を見ると、檸檬を川に投げ込みたい 衝動にかられるし、投げ込むことを躊躇するなら、檸檬を持ったまま、その足 で丸善に行かないといけない気がしてしまう。
もっとも、東京駅に向かうのは大間違い:-)
「梶井基次郎はハシカだ」とは、よく言ったものだが、一過性で終りとも思わ ない。気恥ずかしい気分も、たまには良いものなのだ。
何度でもかかるハシカが世の中にはある。
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