道立近代美術館の平山郁夫展にいった。 美術は元々良く分からないが、 個展の絵ともなると、 なおさらよくわからない。
もちろん、今回の展示だけを見て言えることもないわけではない。 なんで同じような夕闇とかキンピカひっかってるような描写を 岩絵の具で(?)行なうことに執念を燃やすんだろう? 執念自体はもちろん構わない。 芸術家たるもの一生をかけてある何かを追求し続けてもいくものだ。
ただ、あの色使いの基調には、 やはり原爆体験がモティーフにあるといえるのかもしれない。 川の流れでも、瀬戸内海にかかる橋でも、色使いの中に きんぴかがくる。変だ。 また、真っ赤に燃えさかるものも多い。 とどめに朝日の絵でもあの色使いは夕闇に見えるのは何故だ?
歳を経るにつれて人物描写がどんどんなくなっていくのも気になった。 シルクロードも建物の描写ばかりなのだ。 初期の作品には妹の絵などもあるが、シルクロードでは絵の中に 人物がいても年輪を重ねた老人の絵だ。 すべて年月を経て生き延びてきたものにしか興味がいっていないということだ ろうか?
結局のところ、我々のようなタイプの研究者の興味はどうしても 『ある時代の芸術家において何故特定の手法が流行ったか?』 というような背後にある普遍的なルールやパラダイムにいってしまう。 そういう観点から見て、個展というのは時代の空気がわかりにくい。
また、素人には個々の表現手法を分析したくても絵画はさっぱりわからない。 そして、個々の絵の説明はあっても、時代背景まで絡めた説明がないことも 美術史におけるダイナミクスをより理解させにくくしている。
そういうわけで、あまり何が言いたいのかよくわからないまま終ってしまった のだが、まぁいつものことなのであきらめる :) もっとも、「相対論の美しさはね、あ〜たらこ〜たらうだうだうだ」といって も、お互いに通じないことを考えれば、 まぁおあいこだというところで手を打つことにしようじゃないか(笑)
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